楽園菜館
まずは、学芸大学駅から「楽園菜館」までの分かりやすい行き方を説明します。
<もっと近い行き方が有るかも知れないですが・・・>
改札を出て右側、東口商店街をひたすら真っ直ぐに進んで終わりまで行きます。AMPMのコンビニの有る交差点に出たら、そこを右に曲がり鷹番小学校を左に見て歩いて行くと、左に極真の道場があり、信号機のある交差点に出ます。そこを左に曲がると壁が見えます。<三菱自動車の壁なんですけど>、その壁の直ぐ左に一方通行の道が有るのですが、その道を行くと目黒通りに出ます。出た所の左に「楽園菜館」さんが地下一階に有ります。(目黒通りの三菱自動車の隣)
キレイなビルで目黒通りを通った事のある人は、目にした事が有る人も多いことでしょう〜
それでは定番のお店の名前の由来ですが、「楽園菜館」とは、読んで字のごとしでお客様に楽しい空間・素敵な時間を提供して行きたいと言う思いからつけられた名前だそうです。創業は昭和26年、今の場所に祖父とお父様が始められたお店で、去年改装して新しくなってから1年目だそうです。
<めちゃくちゃキレイです>
今回は「楽園菜館」の料理長でもある、オーナーの祭 晶雄さんについて詳しく取材しましたので、皆さんにご紹介したいと思います。それが一番「楽園菜館」&料理やお店のことがよく伝わると思いましたので、そうすることにします。
それでは、祭さんが現在に至るまでのお話をしたいと思います。
三才のころから見よう見まねでフライパンを持って卵焼きを作っていたらしい。<凄すぎます>もちろんご両親に怒られていたので、火傷をしてもご両親には隠していたりして、ケロイドになってしまうくらい火傷していても怒られるので隠していたりしたそうです。
<そのころから才能が開花していたのですね、もしかしてヤンチャ?>
高校時代は、飲食店に関係する多種多様なアルバイトをしていて、その選択からも後の人生に大きく繁栄される実績を積んでいたのでしょう〜。
高校卒業と同時に中国へ留学も考えていたが、中国での学生運動が盛んな時期で留学を断念。その頃どう時期に浦安のトーキョーベイヒルトンからの誘いがあったが浦安は遠いので断り、新宿のヒルトンにアルバイトとして入る。がしかし、直ぐに社員になれとといわれ社員になる。ただ、給料はアルバイトの方が全然良かったといってました。
<なかなか料理の世界も大変ですからね>
その時期に祭さんにとって祭さんの家族にとって大きな事件があり、そこから祭さんのなかでも大きく変わっていったらしい。
家族皆を守るという意識が芽生えてきたのがこのころだと言ってました。
<生意気ですが、経験を自分の糧にするのはその人の力量だと思います。>
ここで調理人、祭さんの出世街道を説明しておきますと、見習いで3年・一人前には10年と言われているらしいのですが、祭さんは、見習い1年・鍋を振り始める一人前に3年で上り詰めたそうです。もちろん異例な事で周りでは嫉む奴や、嫉妬するやつなどが沢山いたらしいです。
<なんか分りますね〜日本的と言いますか・・・>
その中でひたすら走り続けて、平成6年6月結婚をしたそうです。
ちょうどその頃、他の所から副料理長としての誘いがあり(ヘッドハンティング)新宿のヒルトンを辞める決心をしたそうです。がしかし、その誘いも祭さんは準備OKの体制でいたのですが、誘ってくれた人の事情によりその話しは無くなってしまう。けれども、それから後に浜松町のチサンホテルに入り、そこでも祭さんの才能は発揮され、売り上げまでも増大させてしまう。その時期、横浜「聘珍楼」のシャさんとも知りあう。
そして、チサングループの料理大会にチーフの変わりに出場し東京で1位を取ってしまう。
もちろん全国大会にも出場する権利を取得しましたが、変わりに出たのでと辞退するが周りからの勧めも有り、結局全国大会に出場する事になる。
結果は、もちろん総合三位・中華部門一位を取得!
<スゴイです。何かカッコイイですよね>
その場にチサングループのオーナーなども居て、全国でこの料理を食べれるようにしたいと言われるが「自分の料理は、自分にしか作れないのでレシピを教えても同じ料理にはならない!」と言って退けたそうです。
<しかし、レシピは教えたそうです。>
それから後に西麻布のお店(120席)に料理長として入店。26才
売り上げの低い店だったのですが、売り上げを上げる変わりに1000万円越えたら人件費を増やしてくれるというオーナーとの約束のもと頑張り。その約束も果たしたのですが、オーナーが約束を果たさず。決裂!!!
<まっすぐな祭さんには、許せなかったのでしょう>
その時にも祭さんには、いろいろな試練が伸し掛かっていました。それも有って早く決断をして、辞めたそうです。
<賢明ですね。>
それから半年、休養をする。
<長い間走り続けていますからね。休まないと動けませんよ。私は休みすぎ?>
休養明けに、やっと自分のお店を祐天寺に持ち(ロウセイコウ)奥さんと二人で頑張る。
テレビの取材などが入り「峰竜太のほんの昼飯前」や、料理の鉄人でおなじみのフレンチの坂井に食べてもらう料理番組などに出演して人気を取得する。
<生意気ですが、美味しくなければお客さんはつきませんからね。>
その後も順調に業績を伸ばしました。
それから今の祖父とお父さんのお店にやってきたのです。
<やって来たという表現が正しいか分りませんが>
長々ご紹介しましたが、祭さんの事が少しお分かり頂けたでしょうか?何で私は個人の歴史のようなご紹介の仕方を今回選んだのかと言いますと、取材でお話を聞いているうちに、そんな祭さんの思いや経験がこの「楽園菜館」さんの料理やお店に出ていると感じたのでご紹介させて頂きました。
自分が頑張るには理由が必ず有る。
皆が潤うように頑張りたいなど、取材の途中にも人柄を伺えるコメントが多数出て来ました。
ここにご紹介しきれない程です。
もっと深く知りたくなった人は、実際にお店の方へ足を運んで頂いて確かめて下さい。
凄く素敵なお店です。
そんな料理長の事(祭さん)を考えながら食べる料理も一味違う楽しみ方かもしれません。
料金も手ごろで美味しく、楽しく頂けると思います。
最後に祭さんが書いた詩をご紹介します。
意味を深く知りたい人は、実際にお店に行って祭さんに聞いて下さい!
もちろん料理を食べた後にですよ!
そうしないと祭さんは出てきてくれないですよ。
それは何故かって?
料理が祭さんの顔だからです。
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